T.C.G.C.

He taught me to sing a new song
a song of praise to our God
Many who see this will take warning
and will put their trust in the Lord
             Psalm 40:3
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# 温かい涙
朝晩すっかり寒くなってきました。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

さて、今週の練習レポートです。
練習曲は O come all ye faithfulと Now behold the Lamb
それから、昨日行って来た訪問ライブの曲を少し歌いました。
O come all ye faithfulでは、それぞれのパートが色んな場所へ移動し
パート練習へと入りました。なんだか、その時間が こう「キュッ」となった感じで
「いよいよライブに向けて始動!」といった雰囲気でした。
Now behold The Lamb ではCDに合わせて初めての人も一緒に音を取りながら歌いました。

そしてっ!
練習の最後に、ついにTくん、Kさん夫妻が帰ってきました!!!!
いつも以上にみんなで「キャァァァァァッ!!!」
もう、嬉しかったですね〜。
これからまた一緒にゴスペルが出来るのかと思うとウッキウキです。

さて、昨日の「老人ホーム泰生」での訪問ライブのレポートです。
施設内はちょうどいい広さで、何よりもインテリアがとてもステキで
間取りも利用者の為をきちんと考えた形となっていました。

ライブが始まる前、少しだけ交わりの時を持ったのですが
おじいちゃん、おばあちゃんたちの反応は少し固く
その固さはライブ後半まで続きました。
讃美をしつつ、メッセージを語りつつ、「神様を見上げて」というよりも
正直。おじいちゃん、おばあちゃんの反応が気になって仕方がありませんでした。
「私達は受け入れられているのだろうか」
「あ、今時計を見ている。もしかして終わる時間を気にしているんだろうか」
そんな事を気にしてしまっていたんです。

前回の「つつじの家」同様、最後に「ぬくもり」をおじいちゃん達のところへ行って
一緒に歌う予定だったので、「この状態で近づいてもいいのだろうか」と
ライブが後半に近づくにつれて、また不安が増えました。
「どうやって、近づこう。近づいた後、どう交わろう」
そんな事ばかり考えているうちに、「あっ」と気づかされたんです。
「私達の力がみなさんの心を溶かすのではないんだ」と。
「自分の力だけに頼るのではなく神様に委ねる」というのは実はこの2週間、
よく聞いたメッセージでした。
「あぁ。そうだった〜」と気づかせてもらってから
「とにかく、おじいちゃんの手を握ろう。今、私に考えられるのは そのこと。
だから、とにかくおじいちゃんの手を握ってこの歌を歌おう。」そう思えたんです。

そして、おじいちゃん達の手を握りました。そして歌いました。
歌っているうちに、おじいちゃん達の目から涙が、どんどん溢れてきました。
私も涙が止まりませんでした。言葉にはできない涙でした。
一人のおじいちゃんは、私の顔を見て一緒に歌おうとして下さいました。
一人のおじいちゃんは、顔を背けながら伝ってくる涙を拭かれていました。
一人のおじいちゃんは、涙を流しながら目をしっかりと見て「ありがとう」と何度も言って下さいました。
気づくと、そこに集まって下さったほとんどの方がメンバーと共に涙を流していました。

このとき、思わされたんです。
当たり前と思って、忘れていた「イエス様の愛は例外なく人を癒すんだ」ということ。
イエス様の存在を信じてても、まだ信じられなくても
イエス様は、その人に触れられ 癒されるんだ。
渇いてしまっている、その心を愛で満たして一杯にされるんだ。

伝える側に立っているとき、力が入ってしまう事が時々あります。
でも、力が入ってしまってる時ってイエス様がどうされたいのか
とか、イエス様が何をなされているのかが、見えにくくなってしまうんです。

力を抜いて、自分が関わっているその事を自分の権利で動くのではなく
イエス様の権利によって動いた時、その事は間違いなく好転します。
それを、また思い出させられた時間でした。

私達が帰るとき、一人のおばあちゃんが元気に何度も両手を挙げて振ってくれました。
また、機会があれば来たいな。そう思いました。

さぁ、これからクリスマスライブまで約1ヶ月です。
自分達の力だけでギュ〜っとするのではなく
いつも、イエス様に聞きながら進んでいきたいと思います。
| comments(0) | trackbacks(0) | 17:01 | category: イベント |
# 測り知れないほど大きな愛
遅くなりましたが 13日の美和さんのワークショップレポートです。

今回はクリスマスライブへ向けて クリスマスの曲を2曲教えていただきました。
その曲はこの2曲。
O come all ye faithful
Now behold the Lamb

O come all ye faithfulは久しぶりにアルトが主旋律という事でアルト陣はウキウキ。
ソプラノの音が大変難しく、「アルトでよかった〜」とホッとしていましたポロリ
少しどっしりとしたアレンジで「行進してる感じで」という美和さんの言葉に
イエス様が生まれた日、羊飼い達の足取りはどれだけ喜びと期待に満ちていたんだろう
と思いました。

そして
Now Behold the Lambです。Kirk Franklinのファンなら誰もが知っている曲。
「主よ。どうしてそんなにまでも私を愛してくださるのですか」と
言葉にもならないほどに、イエス様へ強く強く歌う曲。
美和さんのリードによって最後には初めて来て下さった方も
初めてゴスペルを歌ったという方も一体となって讃美していました。

曲の内容ですが、歌詞の中に
「あなたの思いに背いてしまった時
 私の罪が私達に分裂をもたらした
 私はここに涙しながら立っています

 新しい人生が始まる
 あなたは私の罪の一つ一つを洗い流して下さった
 神のひとり子が自由にしてくれた。本当の自由に」
とあります。

人間の最大の罪とは「神様から離れてしまう事」でした。
私自身の話になってしまって恐縮ですが
クリスチャンになるまで、正直 私は神様の存在というものを否定していました。
神様にしてみれば「最悪の親不孝者」だったんです。
しかし、そんな私を神様は根気強く見守って下さっていました。
それは受洗前の何ヶ月とかそんな短いものではありません。
振り返ってみると、色んな事がありました。
楽しい事や辛い事、幸せな事や悲しい事。
それは、全部 自分や身近な人達で作り上げてきたんだと、
乗り越えてきたんだと、そう思っていました。

でも、イエス・キリストという方に出会った後
その色んな事が1本の道に繋っていたんだという事に気づくのです。
その色んな事は、自分の両親が私を成長させる為に全て用意したのではない
自分の友達や同僚が私を強くしようと全て用意したのではない。

私を成長させるため、強くするため、そして喜びを与えるために
神様がその人達との出会いを私に与えて下さったのだと。

「思い出しては悩み、後悔し、そして自分を責める」
そんな事をいつまでも繰り返していました。
そこには罪責感の塊がゴロゴロありました。
「自分の力だけでやってのける」という事がいつの間にか、自分を苦しめていたのです。
そのような経験をされた方は結構いらっしゃるのではないでしょうか。

その自分を苦しめる原因となっていたもの。
それが「神様から離れて生きていた事」だったんだと思います。
その罪を取り除くには、全く罪のない人がその罪を被るしかなかったのです。
しかも、罪を持っている人全ての罪。「罪」といわれる全てのものです。
その多さはどれだけでしょうか。
監獄に何年か入っていれば済む数でしょうか。

それは当時の極刑である「十字架に架かる事」でしか
取り除けないほどの数だったのではないでしょうか。
この十字架に架かるのは全く罪のない
嘘すらついた事のないイエス・キリストでなければならなかったのです。
もし、神様が「私から離れるならば」と私達を憎んだとすれば
こんな事は起こらなかったでしょう。
なぜ、ご自身のひとり子であるイエス様を十字架に架けられたのでしょうか。
そして、イエス様も なぜ他の人の数え切れないほどの罪まで被ったのでしょうか。
「神様がいるのに、なぜ世の中には悪い事がたくさん起こるんだ」
そんな疑問を以前は持っていました。
でも、「神様から離れるという罪によって別の罪が生まれてしまうんだ」
その事に気づいたんです。

人間を救うため、罪を取り除くためイエス・キリストは十字架に架かりました。
人々が、もう一度 神様の元へ戻ることが出来るように。
十字架に架かる不当な裁判の間もイエス様は全く異議を唱えませんでした。
十字架に架けられるまで、鞭で何度も何度も打たれ、全身傷だらけになっても
人々から唾をかけられ、罵られても何も言わなかったのです。
それは、この方法以外に私達を救う方法がないという神様の思いを知っていたから。
その方法を成し遂げるのは自分しかいないという事を知っていたから。
それほどまでに、私達を愛されているからなんです。

「キリスト」とは「救世主」のこと。

「なぜ、そんなにまでも私を愛してくださるのですか」
私達には測り知れないほどの大きな愛。
繋がっていた1本の道はこれからも延び続け、私を導かれる。
その1本の道とは、神様の、そしてイエス様の愛によって引かれた道。
もう ただ、悩み続け、苦しみ続け、自分が何なのか問い続ける必要はない。
なぜなら、イエス様の愛が、私をもう一度神様の元へと返して下さり
新しい命、人生を与えて下さったから。
               
| comments(0) | trackbacks(0) | 19:45 | category: イベント |
# 届いたイエス・キリストの愛
お久しぶりです。
朝晩キュ〜っと寒くなってきましたね。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

さて、9/27に「つつじの家」というデイケアセンターへ行ってきました。雨が予想されていたその日の朝は、くもり。
どうか雨が降りませんようにと祈り、教会で機材を積んで
いざ「つつじの家」へ。
センターについてから機材をセッティングし、
ライブまで1時間ほどの間センターの方々との
良い交わりの時を持つことが出来ました。
行くまでは正直言って「どう交わればいいのか」
と少し不安に思っていたんですが、私達のところへ
まずセンターの方々が話しかけてきてくれたんです。

まず名前を聞いてくれて、そして名前を教えてくれて
一緒にぬり絵をしたり、写真を撮ったり、お茶をしたりと
お互いの距離が少し縮まったところで 
音合わせのために少しリハーサルをしました。
その間も興味津々で客席の一番前に座り私達を
ニコニコしながら見てくれていたMさん。
その表情がとても優しくて、その笑顔を見たとき
センターにくるまでの不安は完全になくなっていました。
そうしているうちに ぞくぞくとお客さんが集まってきて
その数は70名ほどとなっていました。


そして いよいよライブへ。
手話つきの「うみとそら」をみんなで立ち上がって
ワイワイ讃美しながらみなさんの笑顔をもらい、
讃美、そしてメッセージへと続きました。


そして最後の曲「ぬくもり」。

歌っているとき一番前に座っている男性に気がつきました。
彼はかがみ込み、声をあげて泣いていたのです。
みんなで歌いながら客席へと行きました。
そしてみんなで手をつなぎ、大きな輪が出来上がったんです。
その彼は「ありがとう、ありがとう。
僕はこんなに素晴らしい歌を初めて聴いた」
と大きな声で伝えてくれました。
その大きな一つの輪の中に、イエス様の愛が
溢れるほどに流れているように思いました。
彼の泣いている姿を見て「届いた」と思ったんです。



いつも、色んなセンターへ訪問させていただく時に私達の方が恵まれるのですが
正直、ここまで「届いた」と実感できるとは予想していなかっただけに
「私達の思いだけでは量ることができない、イエス様の愛がここにある」
そう思ったんです。

ライブ後、センターではいくつかのお店が出て、私達もそこで焼きそばを頂いたり
いろんなゲームを皆さんと一緒にして、また楽しい時間を過ごせました。

帰る時になって、あの、泣いていた彼が「また、ホンマに来てな。」と何度も
言ってくれて、駐車場のところまで見送ってくれました。

      だれかにも あげたいな ぬくもりもらったから
     だれかにも あげたいな とびっきりの愛をもらったから
その歌の通り、たくさんの人達に私達がもらったイエス様の愛とぬくもりを分けたい。
でも、それはいつも一方的にではなくて その愛が届いた時に大きくなって
私達もいつのまにか その大きな愛の輪の中に包まれている。
ホントになんて素晴らしい場所にいさせてもらるんだろう、そう思ったライブでした。

今月はもう一箇所、訪問ライブを控えています。
さて、どんなライブになるのでしょうか。メッチャ楽しみです。

楽しみといえば、明日は美和さんのワークショップです。
また、レポートさせていただきますねっ。
| comments(0) | trackbacks(0) | 18:48 | category: イベント |
TCGC
毎週金曜日、20:00〜高砂教会横の宣教センターにて楽しく練習しています!
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