先月25日(金)は、ゴスペルの練習ではなく、ゴスペルの神髄である
”Bible(聖書)”の言葉をみんなで聞きました。
たくさんのメンバーが集まって、本当に楽しい素晴らしい時間でしたよ〜。
お話しして下さるのは、T.C.G.C.の顧問であり、高砂教会の副牧師であられる、
愛と涙のメッセンジャー・N先生!
聖書箇所は「ローマ人への手紙8章31節と37節」で、『神様は味方である!』と
題して語って下さいました。
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みなさんそれぞれに、「神様のイメージ」って持ってらっしゃるのではないでしょうか?
雲に乗って長い白ヒゲのおじいちゃん?(そりゃ仙人でっせ☆)、
透明人間?宇宙にいる?光?・・・・・みんないろいろ思ってたようですね^^
日本人の多くは、「神様はバチを当てる」というちょっと怖いイメージを
持っているそうです。
子供の時によく言われましたよね、「そんなことしてたらバチが当たるでっ!!」って。
その言葉、本当に怖かったですよね〜。ビビるよ。。。
でもね、聖書には「神は愛である」(ヨハネの第一の手紙4章8節)
と書いてあるんですよ。
そう言われても、どういうことっすか?って思われたアナタ!・・・同感です。
神様も愛も目に見えないし、触れられないものですもんねぇ。
でも、目には見えないと思っている”愛”は、実は表現されているんですね。
それが、『イエス・キリストの十字架』なんです。
私たちが歌う”ゴスペル”では、この神様の愛、イエス様の愛を歌っているんです。
先ほどの「神は愛である」という聖書箇所の続きにそのことが書かれています。
神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして
下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、
わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。
ここに愛がある。(ヨハネの第一の手4章9節-10節)
そして、N先生はこうおっしゃいました。
「神様には人を好きになる、嫌いになる条件はない。時間の制限もないんです。
神様は、条件なく制限なく私たちみんなを愛して下さっているんです。
その愛を受けとめるとき、すべてのことにおいて勝ち得て余りがあるのです!」
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、
これらすべての事において勝ち得て余りがある。(ローマ人への手紙8章37節)
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おぉ〜そうなのかぁ!と思いませんか?
あんなことをしてしまった、こんなことをしてしまった・・・・、
あんなことも出来ない、こんなことも出来ない・・・・こんな私を神様は
好きなハズなんかないわ。。。私のことなんて見捨ててるわ。。。
なーんて、思ったりしちゃったりしませんか?
私はそう思っていたときがあったなぁ、と思い出しました。
でもそれは、私たち人間の勝手な、超勝手な思い込み。いや、思い違いなんですね。
神様には、私たちを好きになるor嫌いになる条件なんてないんですよ!
そしてその愛は、時間の制限なく、永遠の愛なんです。
うわぁぁ・・・そんな大きな神様の愛を知ってしまったら・・・
ゴスペルで思いっきり讃美したくなりますよね!
よっしゃ!ゴスペルで思いっきり神様を讃えよう!